二十四、念霊(生霊)と死霊
念霊は、怨み、そねみ、おしみ、焼持ち、羨しがり、心配等から起る現象である。死霊は、怨みを残して死んだ者から受ける現象である。何かの事で怨んだとすると、年期を持って、忘れた頃相手に難を起す。怨んだ方も神の罰を受ける。怨みを受けた方は、念霊退散供養法、怨んだ方は、念霊懺悔供養法に依って、死霊は死霊退散供養法に依って難から逃がれる。怨んだ本人が、あきらめて忘れなければ念霊は来ない。怨んですぐ忘れる人の念霊程恐しい。怨み続ける間、相手は逆に成功する。 悪運の強い奴だとあきらめると、急に逆転する。世の中に悪どく怨まれて成功して居る者が多いのは、相手があきらめの悪い人許りであるからである。往々その人が定命つきて死ぬると、あきらめ忘れる。その為、念霊は子孫に及んで滅ぼし、一代限りの言葉も出る。念霊は怨まれた本人のみでなく家族の誰にでも来る。過去、怨み、今は仲よくても、念霊はつづくものである。病中の見舞いの客によっても病勢が上下する。過去、怨みを持った客から見舞品を貰って食べても悪化する。 玄関に這入っただけでも病人は苦しむ、夜中の十二時過ぎ頃から苦しみ出し、二、三時頃を頂として、朝の五時頃から薄紙をはぐ様に苦しみが消えて行く。昼間もほぼ同様である。此の様な場合は、念霊を受けて居ると考えてよい。 呪詛の時間は午前一時三十八分から二時三十八分迄の間に成されるので此の間、甚く苦しむ。呪詛は呪詛退散供養法によって逃れる。此の様に呪詛や念霊、死霊等受けた時は、差し当り、線香の煙りをたやさず建て続けると、苦しみが来ない。甚い場合は蝋燭に火をつけて枕下に置くことを併用する。相手を思い出して、其の名を呼び「誰それさん私が悪かったから赦して下さい」と言って、此方が善くても、悪くても詫び、線香十六本を建て、続いて後は、輪線香でも一本つけづめにする。煙りが立ち昇ると、すっとよくなる。神達に念霊を取り去ることを、お願いして、南無忠孝妙法典を称える。速急な場合は線香を一束つけてもよい。煙りが切れると苦しむ。あとで供養法を用い難を逃れる。念霊を受ける場合は多いが、特に男女関係、金銭貸借関係、商売関係、夫婦、親子、兄弟、姉妹間の不和等がある。逆怨みがあるから注意する必要がある。金を貸し請求して、白内症に取り憑かれた方もある。夫婦間、男女間の念霊は癌等造る。 某氏のお腹の中に癌が五つ出来た。五人の女の怨みである。「奥さん汝が許さねば、この癌は解けぬ」と言ったら泣き伏し「今日まで怨み抜きました。主人のあまりの残酷さに、家に祭った不動様に御願いし抜きました」と語った。「おばあさんの着物が質入れしてあるが、それを出して返さないと、その咳は止らぬぞ」と云う夢を見、母親に聞いたら、本当に質入れしてあった。受け出して返したら咳が急に止まった。女に子を孕ませ闇に葬むって、命を取られかかった男も居る。人を泣かせば、其の怨み重って末路あわれになる。念霊から来た病気や不運等は詑びて、供養法により念霊を取り去れば覿面に回復する。本人に会って詑びるのではない。念霊を受けると、相手の夢を見る。 家族の者が怒りっぽくなったり、其の人の動作も真似る。好きなものを造って主人を待つと其の日は帰えらぬ。好きなものを知って居る者の念霊である。自分の起した念霊も懺悔して、取り去らぬと天罰を受け、自分の方にも難が来る。公衆道徳を無視すると大衆の念霊を受ける。死霊の場合は「私が悪かった、成仏させて貰ってあげるから許してくれ」と詫びる。国の争いからも大衆念霊を受ける。大衆念霊退散供養法で難を逃れる。彼奴が来るとろくなことは無いと云う人が往々あると思う。十年以上も音信不通であった相手の念霊を取り除いたら、相手が詫びて来た例は、珍しくない。夢に見た人達のことに就いても過去を顧みなければならぬ。双方の過去に於ての霊のいがみあいから今は互に忘れて居ても、会ったら商売等ばったりだ。反対に奴が来ると何時も運がよいことが続くと言う者も居る。過去その人の喜びが、徳になって表われて来る。人は喜ばせて置かねばなるまい。世界の人の怨みは大災害や早魃を、喜びは豊作や楽園を産む。 |