二十八、執念供養
惜しい欲しいの連続的念の固執から起きる現象を執念と呼ぶ。 執念は人にも、霊にも、物質にも附く、執念の附いたものを所有することに依って難せられる。又、附けた者も神に罰せられることになって居る。入手した時を起点として、年切って難せられるから分る。執念供養及び懺悔供養に依って、その執念を取除けばよい。 争いで得た土地建物や古物、書画、骨董等執念が附いて居る場合が多い。 競買ミシンを買って、夫婦共も頭痛持ち、家業失敗どん底に落ちた方、質流れの洋服を買って、その服を着ると、商が一つも無かった方、工場の仕事が途切れて、どんなに奔走しても仕事が来ない。執念取除いた其の日から仕事が来続いた例。今まで商売が繁昌したのに、ここ二十日許りぱったり止った。その家に住みたがって居た人の執念であったので、供養したら翌日から仕事は切れなかった例。養子にたってと望まれて難を受け病弱不幸続きであった例。又、全家族五人共下痢が止らず、けちんぼの惜しがり屋に飴を五箇貰って、一箇宛五人で食べたその晩から下痢が始って居た例。甚い腹痛で転び廻って居た某が、丁度三年前、隣りの慾深ばあさんから白餅を二十程貰って食べ、そのお返しがしてなかった。 「何々さんお餅を戴いて、お返しするのを忘れて居て済みませんでした」と詫びさせ、線香十六本建てたらけろりと治った。念霊を共なった執念の例である。 執念取除き供養に依って速座に難が解消して居る。面白いのは終戦当時、某が腕時計を買ったが動かない、何度も時計屋で修繕したが時計屋では動いて居て、自分が腕にはめると動かぬと云う、新品ではあるけれど、多くの人の欲しいと云う執念が附いて居た、供養終ると同時に動き出して今も故障は起らない。 某が立派な軸物を持参して、之れを金の方に取ってくれと言うて持って来たが貰って置いてもよいかと聞く「その軸は大きな財産を潰しては、次ぎ次ぎと金の方に取られたくせものだよ」と告げたが、調べて見たら昭和五、六年当時の二、三百万長者を潰しては、金の方に渡り歩いて居た。又、書の軸で入手すると火事、次ぎ次ぎとその軸だけ持ち出されて、その度にその書の値段が高く売られて居た、頼山陽のものであった。執念に依る業である。 某がお雛人形を飾ると、その日から誰か病気する。十数年間毎年だと云う。内裏様は他から祝いとして貰った。くれた人は自分の子供に買わないで他人に祝ってやったと云うので夫婦喧嘩をして先方の妻が家出したことのある曰く附きのものであった。執念供養したらその年から病なかった。供養した日から三月目に、その本人が訪れ、実に十三年目の対面であったと。 熟考して見る必要があるだろう。 |