二十九、行体の繁殖とその霊及び寄生霊

 神達は「アミーバ」動植物を遣わし、その肉体を基として、種々な行体を造り上げ、その行体の繁殖に勤めて居るのである。この様にして完成した肉体を、次は適当に分割させて行体を繁殖さす様に造り上げたものもある。この様な場合は、その一方にも新しく修行を命ぜられた者(霊)が来て這るのである。人体は(他の動植物体も同じである)先づ霊界でその役目の神達が精(しょう)を以って、部分部分の形を造り(神達の分業である)まとめ役の神達がこれを一纏めにして、行体の形を完成し(たまに失敗もする)使いの神がこれを運んで母体内に入れる。これを基として妊虫と精虫が活動し、盛んに分裂して、その肉体である細胞を造り出しながら、形にはめ行体を造り上げる、その間虫位の霊が育てあげる。

 ほぼ完成を見た胎児五ヶ月に満ちると、改めて支配の神の命を受けた人位霊が遣わされて、これに入り代り、人としての働きをする様になるのである。この間母体は、虫位霊や胎児霊の影響を受けて、母親の性質がぐらりと変わることがある。行体の繁殖には、胎児の形を取るもの、卵の形を経るもの、種子の形を取るもの、行体である肉体が直接分裂して、一方に他の霊が宿るもの等ある。就れの場合も、その夫々の位にある霊が神達の命を受けて宿らされるのである。これを使命霊(汝の場合は汝の身体とは別の汝自身のこと)と名附ける。生物の総てに、その身体の中には、その夫々の使命を神から受けた修行霊の居ることを忘れてはならない。

 生物は、その肉体を操縦して、使命を果そうとする意慾のために、その寿命のつき無いうちに余儀無く肉体を離れる、即ち、死ぬる場合には、往々浮世に未練を残し迷わされ、天罰を受けて、大気中、即ち、霊界で、自分(霊)の食糧である物の香と水気が採れなくなり、苦しさのため、他の生物体内に救いを求めて、縋り、取り憑く結果を産む。そのため人体にも、汝自身の他に種々な寄生霊を伴うことがある。この場合汝の意志すら曲げさされ災いを受けることが多い。

 大腸菌霊の様に香いの生産に協力し、汝を助けるもの、寄生虫霊の様に汝の行を妨げ、その霊の力あるものは、汝の意志や心をかき乱し、くしゃくしゃ浮動させて、汝に癇癪を起させる。

 この様な場合には、虫除け支配神にお願いして、虫下し薬を用い寄生虫を除くと、心が落附いて爽かになる。薬を飲んだだけでは、出ない場合がある。真田虫を取り除いたら大酒が止んだ例がある。世の中には酒を呑んで居る間は、お金がいくらでも儲かるが、呑まぬと這らぬ人が居る。又、儲けるだけ呑んで、本人は病気もせず丈夫だけれど、家族には不幸ばかり起って居ることもある。この様な人達は他の動物霊に憑かれて、弄ばれて居るのである。この様な動物霊達は己れの生活のために、人体に憑き宿って、お金を集め暮し、精気を自己の身体に運び去るので、大旨大食で二重人格、嘘が多い人格と云うよりは、動物性に富んで居る。

(一)人体にうつり住んだ竜王

 十五才の某女が畸病に憑かれて居た。からだの悪い処は見えぬ美しい娘である。五穀は何一つ喉を通らない。唯、小豆饅頭をたまに食べ、大根ばかり食べて居る。からだはやせて居らぬ、普通より肥えて居る。食べるとすぐ吐く。親族に医師が五人も居たので研究したが分らぬ。食ったより吐き出した量の方が多いと言う。そして教えぬことでも全部知って居る。習わぬ編物でも編み「二階に居て階下で何をし何を言ったか知って居る。内証事何一つ言えぬ、勉強しないのに学校は首席、先き先きのことを言い当てる不思議な娘だと云う。田代が池に棲んだ竜王が乗り憑り棲んで居た。その家の三代前の先祖の者が、竜王使いの途上その家に立ち寄り天罰で姿を出したのを、あき樽の中に入れてつめをし、河に流したとのことである。お詫びさせたら、一膳くらい飯を食べる様になったと喜んで居た。後日の様子は知らぬが、家族や縁者の精気を取って暮して居たため、周囲の者が次ぎ次ぎと死絶えて居た。御本人の身体は至極健かであった。

(二)お腹に棲んだ猫の霊

 お供養の最中突然「ギヤオギャオ」と声を立て、神前の広間を猫の恰好してはね廻り、供養終ると同時に去って行った。永い間お腹に棲んで居たので、その方の家族が次ぎ次ぎと取り殺されて居た。それ以来死人は続かなかった。

(三)商売して居た狸

 某が我が前に座したかと思うと六尺ばかり飛び下って平伏した「すみませんお許し下さい。私は悪いばばに頼まれたのです。もう悪戯は致しません。そのばばは後で此の者に聞いて下さい、知って居ります」と震えて居た。

 自分で総てを語って行けと言うと「それは許して下さい、私が頭に叱られます。それだけは勘弁して下さい。どうかお許し下さい」と平身低頭する。

 「私が取り調べてから、詫びたとて許しませんぞ、お前の頭だとて後から、吾れが取り調べるが、敵対出来るものなら帰って頭に言え」と言うと「お許し下さい神様が大きな眼で瞰んで居られます。何もかも申し上げます。私達は言われる通りの狸です。唯今、頭を呼んで来ますから、私を帰らせて下さい。もう悪いことは致しません」

 其の身体が前に投げ出されて、両手を上下に動かして居たが、それが止まると起き直って「私が頭です。浅草に住む八卦見の処に居る狸です。私は、ばばに悪いことはするなと、何回も止めるのだけれど聞きません。婆々は此の大沢の家にも出入りして居ります。此の大沢は沢山の金を持って居りますので、私に何時も金を出させよ、金を出させよとせがみます。来るお客毎に一匹づつ眷属をつけてやります。一寸よくなると客は来ませんから、今度は悪くなる様に夜中に浅草観音の境内に在る山の神の社の裏に呪いの釘を打ちます。私が婆々に止めても聞入れません。何とかならぬかと、相談されたので、よし私がやってやると恩になりながら、大沢さんの出入口の柱に毎夜釘を打ちに出掛けました。山の神の社にも打ちましたが、今となっては恐しいことをしました。お許し下さい。直ぐ婆々を連れて来ます」

 狸が去ると、其の姿はもみ手をしながら老婆の形相になり「私が八卦見の婆々です」「おばあさん人を呪えば、穴四つと云うことを知って居るか、善を一人倒せば悪は三人倒れることになって居るのだ。汝は人ばかり呪うから食うにも困る様になるのだ。これが天罰と云うものなのだよ、打った呪いの釘を抜きなさい」

 老婆の霊「唯今も山の神に速く行って詫びて来いと叱られました、困りました。その釘を抜けば天罰は、私に来ます。如何したものでしょうかお教え下さい。今後は決して致しません」

 「今度だけは赦してやろう。塩を振り浄めて、神達にお詫びし、南無忠孝妙法典と称えながら抜け」と教えた。老婆の霊はよろこんで帰って行った。霊に命じて置けば、本人が実行することは体験に照して明かである。大沢宅の出入口には何時の間にか柱に五寸釘が一本打たれて居た。

 「我れは赤坂の山の神である。此の者の弟子に頼まれて、一寸許り悪戯した。浅草の山の神が何んでもよいから詫びて来いと言われるから来た」

 我れ曰く「汝に詫びて貰う必要は無い、我が教えに敵対出来るものならしてもよい。力が及ばなかったと言って、その時頭を下げても最早許すことは出来ないのだから承知され度い」神でも人でも自分の本心から悪いと知って、真心から詫び改めるのでなければ何にもならない。敵対う神の末路も哀である。

 山の神「敵対はせぬ、わしは何にも悪いことはして居らぬ、では帰らせて貰う」と、ふくれて前にのめった。取調べに落第した霊はかくして討ち取られて行く、霊はその死を恐れて居る。

 「私は鈴鹿山の蛇です、山の神に頼まれて、いやとも言えず来て居りました。有難う御座いました。これで私も救われます、帰らせて戴きます」とよろこんで帰って行った。

 今度は大沢其の大きな頭体が急に飛び上った「我れ白竜、この者の先祖が津軽藩の槍術指南をして居た時、御前仕合に於いて、勝ったため、敗けた某から此の大沢家をつぶしてくれと、白衣観世音に願かけられ、我れは面白半分に観世音の止めるのも聞かず、これを引き受け、白衣観世音には破門されるし、破れかぶれになって悪の途を歩いた。今あなたの教えを聞いて我れに帰った、今日限り悪はやめます。此の者を独ぼっちにしたのはすまぬ、この上は力の有る限り大沢家の立つ様にしたい。何か善いことをして、それを土産に観世音に詫びをかなえ手元に帰ります。何卒お救い下さい、善に返ります」「白衣観世音には、我れから話して置いてやるから、真直ぐに帰る様にせよ」 「有難う御座います。お助け下さい」其の体はばったと前にのめった。

 「我れは青森神社の眷属の竜神です。この者子供の時、池の辺りで遊んで居て我れの使いの帰り途、池の端で、小便の飛走りを我れにかけた。子供のことなので幾分は許したけれど、神の約束だから致し方なく罪を裁いて居た。今日改めて心よく許して、青森神社に帰る、方々いためたのはそのしらせであった。青森に帰ったら我れの処も尋ねる様に言って欲しい。さらば」と勢良く前方にのめった。

 「私は先程の狸です、三百程眷属を連れて、婆々について商売して糧を得て居りましたが、性根の悪い婆々でありますので末恐しくなりました。さりとて、此の様に開けては私達の糧を得る術も他に無く、困んじて居ります。どうか私達の採る途をお教え下さい」「山に行って修行せよ、糧は得られる様に運んで置いてやる」 「一寸眷属共と相談して来ります」 「そうせよ」 「有難う御座いました、眷属共も非常に喜んで御教えに従ってお山に修行に行き度いと申して居りますので、今日限り婆々を見捨ててお山に参ります。どうかお救い下さいませ、では行ってまいります」と前にのめって某は正気附いた。

 大沢さんは何時も空の黒雲の様にお天気屋で、心のいらいらした猜疑心の強い人であったが、それ以来生れ代った様な良い人になったと弟子共が語って居た。

(四)お腹に棲んだ狸霊

 一同夜の教典の最中、高天原神議品が称えられて居た。一人々々の祓いの行事に取りかかって、新人の立派な御婦人が前に座った。まだ住所も氏名もお聞きする間もない。

 御幣を振った瞬間、突然、皆が喫驚する様な大声で「いったい、たいたい、いったい、止めてくれえー、やめてくれ、やかましい、やかましい」と奇声をあげて手を振り荒れ狂い出した。

 頓着なしに神議品を称え続けると「ああうるさい、どっこいしよ」と胡床をかいた「見附けられては仕方がない、こんなことなら来るのではなかった。もう仕方がない、どうでもなれ、お察しの通りの狸ですよ。此の辺に姿を持って六匹生き残った其の一人でさあー、これつのからだは棲みよい、もう狸の姿など真平だ。これつに憑いとると、何でも喰えるでなあ」 
 「体は何処に置いて居る」 「何!わしの体か、其処等の床下に寝かせてある。もうわしの様に古くなっては、誰れにも取られ様がないでなあー、こやつの腹の中に憑いて、何でも喰えて、精気さえ貰って行きゃあー体は育つ、お前達の様な不便な体と違うでなあー、今度は何奴に取り憑いてやろうかなあー」

 「性質を改めようとする者には、取り憑くでない、此の者から退いてやれ」

 狸「困ったなあ、此奴の体を離れては、わしは暮すことが出来ぬ。こう見えても、わしは根性の悪い奴にしか取り憑かないから神の罰などあたりっこない。それなら他の者に取り憑いてもよいか、許可してくれるか」

 「それはよい、慾深い根性の悪い奴なら玩具にしてもよい」

 狸「それが許されるなら退く、今日は寒いなあ、腹が減って居るからすまぬが何か御馳走してくれぬか、白菜の漬物でもよい」総入れ歯の婦人は、犬が物を食う様に首を左右に振りながら狸そっくりの性態を表わして、ぱくづいた。

 驚く信者を後目に「御神酒少し」と云って二合瓶を「ラッパ」飲みにしながら「人間共は変な物を着て居るなあ、くるしくて仕様がない、どっこいしよ」と言いながら帯をとき、着物を次ぎ次ぎとぬぎ、長襦袢から腰巻きまで取りかかったので、長襦袢の裾を三人掛りでおさえて止めた。

 力が強いので一人や二人では真裸になられて仕舞う。「これこれ我れの前に来て何をするのぢゃ、汝が憑いて居るのは婦人の体ではないか、それを人前で真裸にしては迷惑するではないか」

 狸「ああそうか御馳走になるので間違えた、すみません」と胡床をかきなおした。まるで振り出しになるので裾を押えてなすままにまかせて置いた。

 酒四合をぺろりとたいらげて「塩せんべいをくれ」と云う。今ないからと云うと、ビスケットの缶の恰好を手まねでしながら「その中にちよっぴり二つあるからあれでよい」と云う。調べさせたら、かけらが二つあったので、それを与えた「これでよい、これでよい」とさもうまそうに食べて、「何やらまだものたりない、おう、そうそう小豆のぼた餅を御馳走してくれ、それを食べて、この体を退く」

 「今日、間に合わぬから明日の午後七時に来い、造って供えて置いてやる」

 狸「それでは明日も此奴に憑いて来るから頼む、それでは今日はこれで帰える、さようなら」と、とんとんはねながら「えい」と掛け声して、どたりと前に倒れ、びくびく動いて居たが生気が附いて、その様を見、血相を変えて、私を裸にしたなと怒り出したので、「貴女は立派な御婦人だと思ったが、初対面の私の前でこの有様は何事だ、此処に居られる方々に聞いて見よ」と笑ったら「ああはづかしい」と云いながら、そそくさと着物を身にまとい逃げる様に挨拶もせず帰った。

 皆が顔色を真青にして身振いして居た。明日は来まいと皆んなが言って居たが、翌晩約束通りに田舎造りの大きな小豆のぼた餅を径一尺位の土器に山盛り供えて、信者一同集って夜の教典が称えられて居た。

 丁度七時の時計が鳴り始めるのと玄関の戸が開く音がするのと同時であった。

 昨日の御婦人つかつかと上って来て「約束の物は出来て居るかな」と言いながら「どっこいしよ」と胡床を組んで、土器のまま出してやると「こりやあ豪気だ、これこれ」と狸の本性丸出しである。

 皿につけてやろうかと言うと「いやそれなりくれ」とひざにのせて鷲づかみ、餡子を手に一ぱいまぶし附けて、大口にかき込む姿は、身内の者でも見て居たら気が遠くなるだろう。大半平らげて、なで廻したぼた餅を側に居る人に「お前も一つ喰わぬか」と一つ出す。信者の一人が餡子にまぶれた口をふいてやって、着物をよごすなよと云うと、顔をつき出して「どうだ、よい男になったろう。わしは男狸だ、此奴は呑気でよいぞ、ああ腹がくちい、こんなもの取っちまへ、此奴はなあ、こんな物沢山持っとるぞ、一つや二つ穢れてもよい、おまえ等の様な貧的と違うぞ」とまた帯を解いて下着一つになり始めた。下着をぬがせぬ様に努力したが、何分にも動物霊のことなので始末が悪かった。

「おい色男前に来い、お前のおっかあにゃーわしの友達が憑とる。お前はええ色男ぢゃー、一つやる喰わぬか」と一つにぎって差し出す。「おい、でぶ前に来い」と肥えた五十がらみの婦人を呼んで「お前は狐憑きだから同類だこれから仲良くしようぜ、ちょいちょい遊びに行くぞ」と言う。その人の心も常に叢雲の様に変って、嫁いぢめばかりして居た。狐憑きとはよく言った。嘘で丸めた人の心をよく見抜いた人間に取り憑くだけの観破力はあるなと思った。その人も心改めることなく、不幸な運命をたどって行った。

 満座の人々のあらを全部すっぱ抜いて、「心を改めぬとわしが取っ憑くぞ」と、高らかに笑って、ぽんぽん腹鼓を打ちながら面白い形相をして「それでは退きます、隣へ行ってもよいでしょう。又、他の者に取り憑いて御目に掛ります。わしは今迄方々の神前や宗教荒しをして命も取ったが、此処では負けた、左様なら、えいっ!」と掛声して飛び上り前にのめって、御婦人性抜けの様にぽかんとして居た。

 若し、人間だとしたら、再び来ることが出来るだろうか。此の様なものに体を棲家にされてはたまらない。ものの気に憑かれると此の様に弄ばれてふかふかと気無しに物事をして、今自分がしたことでも私で無いとがんばる二重にも三重にも人格を持つ、こんな人が世の中に多いのに驚かされて居る。一般の人は、えら振って居るが自分がそうだとは、よも気附くまい。我が前に来るのを内心恐れ、犬の遠ぼえの様に、我れをくさす者は、その殆んどが、この類の憑きものだと考えて間違いはない。眼色が変るで気を附けるとすぐ分る。

 天元教の供養法に依るとどんな憑きものでも退いて、野獣性も消滅し善良な人格を造り得るのだ。

(五)観音の古像

 某の息子が「自分で自分をどうすることも出来ないのです」と泣く、観音の古像についた竜神の障りと知れて、古像を海に流し、竜神退散供養をしたら、生れ変った様なよい息子になった。

(六)狐の像

 某が大きな狐の像を祭って二十四年間も腸結核だと診断され下痢が続いて居た。たたき割って河に流したら、その日から下痢は止って丈夫になり「スクーター」に乗って飛び廻れる様になった。

 

天元教 第一編

一、唱題 南無忠孝妙法典

二、教典 忠孝妙法典

三、序 文

四、霊や神達は居るか

五、大自然は魂魄、言葉、電素に依って活動する

六、霊と香い

七、虫のよい人間たちの多いこと

八、面白く操られて居る人間界

九、油断と満心は汝の行の禁物

十、竜神及び稲荷の行

十一、竜神と人との関係

(一)人間に落ちた安姫の昇神

十二、稲荷と聖天

十三、水神と井戸神

十四、家相の難除け

十五、地鎮祭

十六、丑九十度清浄圏と未申清浄圏

十七、八柱の荒神

十八、八荒神と水神守護の分布

十九、毘沙門

二十、思ひ除け人形法

二十一、思ひと恋慕

二十二、神の思ひ

二十三、仏 霊

二十四、念霊(生霊)と死霊

二十五、人体に憑く動物霊と供養

二十六、樹木や岩に棲む霊と供養

二十七、金神(こんじん)供養

二十八、執念(しゅうねん)供養

二十九、行体の繁殖とその霊及び寄生霊

南無忠孝妙法典
天元教機関紙
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