三、序   文

 私達の大自然は、有無神全能の神、造物主天地之神及び天津神、国津神達の意のままに、その念波によって支配され、活動して居りますので、どんな時でも南無忠孝妙法典と称えて、常に念願してその結果を御体験下さることを御勧めして、ここに神の法を説いて行きます。

南無忠孝妙法典と云う言葉の意味は、南無は古語助動詞「なむ」であって、願望をあらわす唯一の言葉であります。神様どうぞ‥‥して下さいと云う様な場合に用いられて居ります。「東に行かなむ」とは神様どうか無事に東の方に行かして下さいとの意味であります。又、南無しは地球の中心線上の南極の心が唯一の南の無い処でありますので、この言葉は極致極限をあらわすことになりますので、この上もないと云う意味をあらわします。忠は中心であります。万有の総てに中心の無いものはありません。そしてすべてが中心を心として統率されて居ります。

 天体もすべて中心を保って運行して居ります。汝も中心を採って立ち又座るでしょう。汝の精神も心に統率されなかったなら、精神分裂症を起して、発狂するのでしょう。このように、すべてに中心は絶対に必要なものとなって居ります。若し、汝の家に中心が無かったら家は乱れるでしょう。汝の家には陰陽の二つの中心のあることを忘れてはなりません。

 孝は老たものは子にもたれ、子は親をかつぎ上げる姿であり、協同精神であります、ここに愛が生れるでしょう。

 妙は少女の姿であり、真理と道理であります。

 法は法則でありまして、神の定めた大自然の法と人道と国法の三つがあります。

 典は典型であって模範であります。

それ故に南無忠孝妙法典と念願することは、神様どうか此の上もなく我が身を中心採れ、互に協同精神と愛に富み、真理と道理と法則にかなった模範な者として下さいと言う御願いの言葉であります。

 大自然は、魂魄と意思(念)と電素を持って出来上って居ります。魂魄に対しては、居る居らぬと言われ物質に対しては、有る無しと呼ばれて居ることに注意願います。

 魂魄の乗憑って居る物質的肉体に対してすらも、居る居らぬと言われて居ります。そして一度魂魄がその肉体からはなれた時は、有る無しといわれて居ります。魚が水中に居る、魚が店に有ると言われるがようであります。

 ここに、魂魄の在住と物質の存在を認めなければならぬでしょう。即ち、居る居らぬの世界と有る無しの世界のあることに気づかれると思います。

 即ち、物質的存在は無い無の世界にても、魂魄は居り得ることがおわかりと思います。

 この無の世界ほど小さく又大きい器は無いでしょう。すべての物に対して、有と無とは同じ大きさの空間を同時に占有して居ります。

 私達は有るに対して無しと呼び、無に対して有ると認めることが出来るのです。この有と無を中和したら訳のわからぬものになるでしょう。無と有は陰と陽、魂魄と物質も陰と陽の関係に結ばれて居ります。電気も陰電気と陽電気に分れた時、これを認めることができ、中和した時は認められなくなるでしょう。

 大自然のすべては、陰陽の対象から造られて居ります。そして、どんな時でも陰から陽に働きかけて居ります。沢山の魂魄の中で、全能の能力を持つ魂魄に対して、私は全能の神と呼んで居ります。

 この全能の神達が居る居らぬの世界に、始めからどうして居ったのかとの質問が起ると思います。この居る居らぬの世界すらこれを中和したその時は、訳の解らぬものとなるでしょう。意志すらも有るやら無いやら解らぬでしょう。発した時始めて認め得るのでしょう。

 このわけの解らぬ、中和の世界を居る居らぬの対立の世界に分ける力が無かったら神は全能なりと言えないでしょう。

 魂魄は中和の世界にも生居し得て、その糧を必要としないのであります。

 次ぎに造られた大自然は、すべて魂魄の意志の楽しみのために造られたものであります。
 魂魄の発する意思の心波は、物質的影響を受けず、即座に他の魂魄に伝わるのであります。この理に依って汝達が神達の御名を呼び、南無忠孝妙法典と称えるその念願は、この無限大の大自然中の何処にその神が居られても、即座に伝達され得るのであります。そして全能の神達の速力は秒にして無限大であります。私達の言葉は私達の魂魄が、自分の肉体と言う機械を使って、自分の念即ち意思を意志として、風や空気波「エーテル波」を起して他の魂魄に伝えるに役立たせる音波であります。又、全能の能力を持つ魂魄達は、有るとも無いともつかぬ、有無中和の世界をその協力に依って無と有の対立の世界に分け、ここに物元を発生させた。この偉大な力を私は神の偉力と云って居ります。

 この無数の陰陽の電素の単一結合体の中和的中性の物元を「エーテル」と呼びます。この「エーテル」を陰電素、陽電素の二つに分けて、その量を適度に案配して、大小無数の精、元子、分子を造りました。この過程に於て大自然は、高熱に包まれたことは言うまでもない。斯様にして、無限大の無の器の中に同じ大きさの有の器を造る時、無限大な大自然が出来ることはお解りのことと思います。

 造物主、造物の神、造物王以上の位にある魂魄が意のままに電素や精を集めて形を造り霊魂体とした。この霊魂体なる機械に、他の魂魄を乗憑らせて、これを霊魂と呼び、男性、女性の霊魂の間に、女性の霊魂が分裂し、他の魂魄が入って子産みとなり、これを、霊魂の子産みと云うのであります。

 霊魂は、精、元子、分子、電素の微粒子を集めて、霊体なる機械を造り、他の霊魂を乗憑らせて、霊と呼んだ。男女の霊の間に女の霊が分裂し、他の霊魂が乗憑って子産みとした。

 これを霊の子産みと言うのであります。霊魂および霊の子産みは、支配の神の意のままになされて居ります。隠れ身にてありませるとあるは、魂魄又は霊魂の神を示し、神生れませるとは、子産みを指すのであります。

 霊魂体および霊体は、その活動によって消耗しそのエネルギーを失うので、これを補うために、霊魂は電粒子やエーテル、精を、霊は水と香を糧としなければならない。そのため、霊魂や霊は種々な生物からその生気を採って生活するのであります。この精や元子、分子の造り出しにより、大自然は、高熱瓦斯の塊となり、その中に沢山の泡が造られた。この泡が宇宙であり、その中に高熱瓦斯を導入して冷し、天体を造って居る。各天体は香の塊であり、この天体より、夫々の機械によって、霊の糧である色々な、よい香を造り出して居るのであります。

 この必要の為に、種々な生物体なる機械が造られたのであります。先づ神達は、元素、分子、精、水気に依って、アミーバ動植物体を造り、これに其の霊位に在る霊を乗憑らせて、その機械を使用することによって、香の生産に取りかかったのであります。

 このアミーバ動植物は、その雌雄の間に於て、雌の体が、分裂し、他の同位の霊が役目を帯びて、乗憑らされ、子産みをして居ります。神々は、このアミーバ動植物体を基本として色々と綴り合わせ、種々な香生産の機械を造ったのであります。

 先づ神の世界で、造物主達や変化支配の神達が色々と機械の姿形を考案し、精を以って、その姿形を造り役目の神をして地上に運ばせ、各アミーバ動植物をして、その精で造った姿形にその体を綴り込ませ、その核をつながせて、種々な生物体を造り上げたのであります。神々はよい香を造るために、あれこれと精の姿形に改良を加へ、香生産の機械を進化させ、今人類の姿まで造り上げるのに成功し得たのであります。人体が今では至上の香生産の機械となって居ります。

 皆さん自身は、役目を帯びてその体を操作し、その機械的機能や沢山のアミーバ動植物の働きによって、沢山の霊の糧であり、他のアミーバ動植物の栄養元である有用な香を生産して居るのであります。

 皆さんは怒って、物事を成した時それが立派に出来上りましたか、ろくなものは出来なかったでしょう。怒ってあなたの体を使われたら、その機械は故障し、又、香のよいものを造ることが出来ないのであります。そのため、その心に陰なり陽なりの怒りを持つ者は罰せられ罪せられることになるのです。

 私はこの様な理由から皆さんに、首から下の怒りを捨てよと要求するのであります。陰性の怒りを持つ者には、外部から種々な苦難を与え、陽性の怒りを持つ者は、家の内部から種々な苦難を起させて、苦行させその反省を求めて居るのであります。

 又、神達は、この機械が滅ぶ様な行為をする者を罰しますから御気を附け下さい。皆この神達の造った香生産の機械は、夫々の役目の神達の念波により火力を持って運転されて居るのであります。

 いや、私は自分で自分の体を運転して居るのだと言われる方がありましたら、その人自身で自分の心臓の鼓動を止めて見て下さい。

 自分でその鼓動を一寸止めたり、又、打たせたりすることが出来たら、その人は自分で自分の体を運転して居るのでしょう。世の中には、己の心臓の鼓動を止まらせまいとあせって居られる方々が沢山あると思われます。それだのにそれが止って、他の家族のものが悲しんで居るのは、どう云うわけでしょう。己の力でないことに御気附きのことと思います。唯皆さんはその運転の操作をして居るに過ぎないのであります。

 その操作の仕方如何によっても罪を得ますから、人間は如何にあるべきかをも御考え下さることが必要となってまいります。こうして、造り上げられた地球上の動植物体は、みなよい香を収穫するために、神々によって、あなたが農作物を作ると同様に栽培されて居るのであります。あなたの作物も香のよい、味のよいものが選ばれ、いやなものは陶汰して抜き捨てられ、又、あなたの望み通りのものが生えなかったなら、ほっちらかして、肥もろくにやらないでしょう。あなた達は、自分の悪臭をごま化そうとして、お化粧なさって居ることに気附かずに居られるのでしょう。どんなに自分の霊でさえ、よい香を慾して居るかがおわかりになるでしょう。

 野菜類の変遷を見ても、香のよい、味のよいものに変り、悪いものは陶汰されて、滅び去りつつあるでしょう。

 人類に於ても同じです。体臭のよい者が栄え、悪い者は滅んで行くのです。あなたに於ても、体臭が悪くなったら、神から肥が与えられなくなり、あなたは貧苦に苦しむことになるでしょう。

 こんなのはだめだとなると、まびき捨てられ、刈り捨てられるかも知れません。

 どうしたら体臭がよくなるか、自分の力だけでは、不可能なことに気附かねばなりますまい。南無忠孝妙法典と念願するからには、己の根性も直さなければならぬでしょう。

 動植物体は、香生産の機械であるばかりでなく、その霊の霊位を得るための修行体となって居ります。

 あなたは今種々な行体による行を終えて、修行体中最高位の人体による行に生れて、人間界の行をして居られます。もはや他の動物の行は終ったのですから、前世の性質は捨て、改めねばなりません。他の動物の性質を持って居てはなりません。山の行は、それ等動物に、水の行は、魚や水中動物にまかせて戴き度い。あなた達には人間界の行がして戴き度いのであります。

 人間は如何にあるべきかを知って戴き度いのであります。

 人間と他の動物を比べて見ると、人間は火を用ひる能を与えられたこと、この点に於ては断然他の動物に優れて居ります。これも植物に教えられたことを忘れてはなりません。

 生存能力に於ては、他の動物に劣って居ります。人間の産れたばかりの赤ちゃんは、自分から乳房を求める能力がないでしょう。他の動物は自らそれを求めて行きます。眼も開かない雛すらも、親鳥の音により口を開きます。

 人間は、たった一人ぼっちで大陸に放置されたなら、間も無く気が変になり、生存することは出来ないでしょう。又、人間は育つに連れて、すべてを他の者から教えられなければならぬ点であるでしょう。

 この点から考えても、人間は如何にあるべきかと云う問題が簡単に解決されると思います。先づ人間は恩を知らねばならぬことになるでしょう。次ぎに協力し、助け合はねばならぬでしょう。自分だけよければよいと云う利己主義ではならぬことになるでしょう。他の動植物に種々な元素を集めて貰はなかったら、香の生産は不可能になるでしょう。この点からも他の動植物を愛護せなければならぬでしょう。

 神達はこの行体の滅ぶ様な行為を為す者を罰して居ります。神達は人界に何を要求するか、悪を滅ぼして、楽園を造り、よき香の生産を可能にすることを望んで居るのであります。この目的に逆う者に天罰を与えて居ります。このような理由から 我儘、頑固、強情の性質は罪せられて、其の罪の蓄積から年をかさねるに従って、次第に不幸がおとずれることになります。病気や商売の不振、事業の失敗や家庭の苦しみ等、罪の裁きは、色々な形を採ってあらわれて来ます。一番なやみの多い人程その罪は大きいと云うことになりますので、神に縋り幸を得ようとする者は、先づその家庭内の一番苦しみを感じて居る者からその性質の欠点を先づ反省し、改めて戴きます。

 神の定めた掟による罪を犯さず、且又、完全に性質が反省され改められた時には、その者の苦行は終り、唯霊位向上の行のみ残され、その者には絶対に経済的苦痛も病気も家庭の苦しみも与える必要が無くなり、体臭も一段とよくなるので、神達は人を使って守立てさせ、肥しを与えしめることになるのであります。

 私はあなたに誓盟します。あなたが正しい神を信じ、神の掟を守り、私があなたに要求するように、あなたがあなたの性質を反省し、改め下さったその刹那から、私はあなたの罪を許し、あなたの総ての苦痛を取り去り、神達をして特別の守護をせしめることを。この事実は、即座にあなたによって体験されることと思います。

 あなたはあなたの使命を果し、上位の霊位を得ようとして、人界に生れ出されて居るのであります。完全に使命を果すことに依ってあなたの霊位は向上を見ることになって居ります。それ故神達はあなたの行の仕方について見守り、その賞罰を明かにして居ります。そのために、あなた達には神達や霊の居ることすらかくされて居ります。若し、簡単に知り得たら行の面白味は無いでしょう。神はあなたの小使いでは無いのですから、あなた自身があなたの性質を直さねばなりません。神達には、あなた達を助けなければならぬ義務はないのであります。唯反省を求める権限は持って居ります。神達は霊の糧である香生産の機械であり、行体であるあなた達の体を保護し育てるために、八柱の荒神と飲み水を守るために水神を使わし、どこの家庭でも守護さして居るのであります。みなさんは此の神の守護を真先きに認めなければなりません。

 無断でこの神の守護の場所を穢したり、行体の滅びる様な行為をすると、この神達の罪を受け、病気や事業不振等種々な災難が起ることになりますから気を附けて戴きます。

 又、霊の世界では、情容赦がありませんから、特に留意願います。霊が肉体を持った時、ここに始めて情心が湧いてくるので、神達はこの点から肉体を持ちながら神通力を得たものを神の使とし、人界を守護し、取調べさせて居りますので、私達は稲荷や聖天、明神、竜神、毘沙門等もその霊位を神として崇めなければなりません。其の姿を崇めるのではなく、その霊位を崇めるのですから、おまちがえなさらない様に願います。その姿を造って崇めると、神を馬鹿にしたことになり罪せられて、苦難を受けることになります。その他家相、お産、思ひ、恋慕、焼持ち、そねみ、念霊、仏、死霊、執念、仏壇、墓相、お骨の処理、神罰、天罰、悪霊、悪に返った神、生物霊の縋り、神の守護を気附かなかった罪、神の恩を忘れた罪等から不運をまねきます。あなたの不運が何から来て居るかを調べ、詑び改め、供養法によって逃れ不運を無くすることが必要です。あの様になるのは、当然だよ、不断の行が悪いからと、よく言われて居ります。何の意味でしょう。

 

天元教 第一編

一、唱題 南無忠孝妙法典

二、教典 忠孝妙法典

三、序 文

四、霊や神達は居るか

五、大自然は魂魄、言葉、電素に依って活動する

六、霊と香い

七、虫のよい人間たちの多いこと

八、面白く操られて居る人間界

九、油断と満心は汝の行の禁物

十、竜神及び稲荷の行

十一、竜神と人との関係

(一)人間に落ちた安姫の昇神

十二、稲荷と聖天

十三、水神と井戸神

十四、家相の難除け

十五、地鎮祭

十六、丑九十度清浄圏と未申清浄圏

十七、八柱の荒神

十八、八荒神と水神守護の分布

十九、毘沙門

二十、思ひ除け人形法

二十一、思ひと恋慕

二十二、神の思ひ

二十三、仏 霊

二十四、念霊(生霊)と死霊

二十五、人体に憑く動物霊と供養

二十六、樹木や岩に棲む霊と供養

二十七、金神(こんじん)供養

二十八、執念(しゅうねん)供養

二十九、行体の繁殖とその霊及び寄生霊

南無忠孝妙法典
天元教機関紙
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