五、大自然は魂魄、言葉、電素に依って活動する

 不吉な言葉は禁物です。魂魄が霊魂に、霊魂が霊に、霊が生物にその霊位や糧を得るために生れ出て居ります。

 魂魄は、互に人の顔の異る様に、各々己の自由意志を持って居ります。そして姿なき一箇の生命であります。私があなたと呼んで居るのは、あなたの魂魄に言って居るのです。

 霊魂体、霊体、生物体になりますと、その体の中に気を附けないと他の魂魄、霊魂、霊等が入って、無断でその体を使用して居ることがあるからであります。自分の意志のまま体が動かぬことがあるのは、そのためなのです。よい神に縋って、罪を消し、何時でも自分自身の魂魄だけで、己の体を操作出来る様にしなければなりません。この様になると何時でも心が澄んですがすがして居ります。雑念が入るのは、他の魂魄からの念波によるものです。

 すべて電素、精、元子、分子、物質は、魂魄、霊魂、霊の念波、心波、言葉によって動かされて居り、魂魄、霊魂、霊はその念、即ち意志によって活動して居るのです。あなたが品物を要求する時、あなたの言葉通りの物が他の霊、即ち他の人に依ってとどけられるでしょう。念波や心波、言葉は他の魂魄や霊魂、霊をも動かす力を持って居ります。あなたの霊も肉体も、他から来る念波や心波、電波によってあやつられることが多いのであります。

 狂人等は、殆んど他の霊が乗憑ったり、アミーバ動物によって罪から神経系を破壊されたり、他から来る電波や念波にあやつられて居ります。それ故、これを研究すると面白い様に治癒するのです。

 今、大自然中の物質を全部解いて見ようではありませんか。

 地球や天体は熱を放散して、次第に冷へて居ることは御存知と思います。

 これに逆に熱を加へて行ったならおしまいには高熱になり、溶け遂には瓦斯に変ずるでしょう。これを更に電解すると、陰陽の電元素に分れるでしょう。この電素は引き合ふ性質はありますけれど、自ら離れる性質はありません。それ故、電素は意志を持たぬことがお解りになると思います。この陰陽の電素が引き合い、一瞬同時に放電中和したとしたら、再び離れることが出来ず活動しない中和的大自然になるでせう。唯物的大自然は活動し得なくなることに御気附きになると思います。

 あなたは、あなたの霊の意志によって、あなたの物質的肉体を使って、物を造り変形させ、且又、言葉によって、他の者を動かせ、物を造らせることが出来るでしょう。

 この様に魂魄、霊魂、霊はその念、意志、その言葉即ち、呪文によって、物質的電元素、精、元素、分子、物質等を自由自在に動かせ、種々な物を造り得るのであります。

 その言葉は、高位の魂魄で、力を持つ神達が合議の上定めた呪文であります。魂魄が成し得る能力は、その位の差に依って異ります。霊魂、霊、生物等に生れ出て、行をすることにより位が昇ることになって居ります。その位を得る行には法則が備けられ、位が上昇するに従って、なかなか難しくなるのであります。

 慢心、油断、見蕩れること等絶対になりません。そして神の世界の階級の差は歴然たるものがあり、その神通力および神力の差は全く比べものになりません。

 魂魄は、無数に居て、その数は、不変不滅であります。今、魂魄が意志を持って居ることに付いて、考えて見ましょう。今生きて居る私をこのまま火葬に附し、その瓦斯および残留物を一粒ものがさず電解し、再びその電素を材料として科学的に、この通りの私を造ったとしたならば、私はものを言うでしょうか、若し、言うなら死んだ者は、なぜものを言わないのでしょう。ものを言うある者が居なくなったのではないでしょうか。

 この居なくなったある者のことを私は霊と呼んで居るのであります。

 霊が居なくなったら、物質的肉体が動かなくなったと言うことは、霊がその意志によって肉体を操作して居たことが解ると思います。肉体は、アミーバ動物が造った尨大な電粒子の塊であることを忘れてはなりません。

 アミーバ動物が造った総てのものは、又、アミーバ動物がこれを解体するのであります。肉体を操作して居た霊は去っても、これを造ったアミーバ動物はその解体の終るまで居残るのであります。霊がその念により物元を動かすことがお解りになったと思います。

 私が神と呼んで居るのは、この生きた霊、及び霊魂、魂魄等の人霊位以上の位を得たものに対して言って居るのです。全能の位のものまで居ることを忘れてはなりません。

 眼に見ることの出来ないものですから、何の由緒も神にある筈がありません。

 物の精と云うのは、神達の造った「エーテル」と元子との中間物でその種類は無数に造られ、各々その電素量を異にし、総てのセメント剤となるものであります。この質のよしあしによって物の価値が定まるのであります。元子自体も、これに依って固められ元子が化合手を持って他の元子と結合するその隙間や、又、分子相互間の隙間をもセメントする役目をするのであります。元子より粒極小なため、その隙間を通って逃れるため中々認めることが困難であります。又、精は水、香同様に霊の糧となり精力元となるものであります。この着物は精が抜けたと云う言葉をお聞きになったことがあるでしょう。精は霊では無いのであります。

 「四百四病のその中で、貧程つらいものは無い」と言われて居るのを見ても、どなたもこれを念願する者は無いと思われますのに、あなた達は、平然として、不幸の来る様に、詰る様に、速く死なして下さいとか、まに合わぬ者にして下さいとか、お釈迦にしてくれとか、大きな悲しみを大きく与へてくれとか、甚しいのは、知らずに人類の滅亡すら念じて居られる方々が居ります。ずる賢い者になると、上手にうそを言わせてくれとか、打算的に高ばかり気にして、尋ねて居る者もあります。実にどうかと、私は思います。

 世の中の総てのものが、魂魄の発する言葉、希望通りに、動かされますので、言葉や文字の意味ぐらい間違わぬ様に、知ったらよいのではないかと、私は思います。

 知っても、知らずでも、不幸や不吉の来る様に神達に念願しますと、神はその様にしてくれます。あなたがどんなに、よい言葉だと信じても、その言葉が不幸を念じたり、不平をもらす言葉になって居ると、神はあなたの心等おしはかってはくれません。その出す言葉通り願いとして、受取りますから気を附けて下さい。

 仏教は、印度の釈迦が説いた教えであります。あなたは仏と仏教と混同しては居りませんか。ここにあなたの観念に大きな間違いがあります。折角、神が楽園を造ろうとして居る世界や家庭を変な願を掛けて、お釈迦にしない様にして下さい。オー・ジーザス・クライストとはどんな場合に使われて居りますか。

 神仏基の発祥地がなぜ災難ばかり続くのですか。戦さの歴史につきて居るものすらあります。漢字と「アルハベット」と「いろは」この三者を一緒にすると大自然の謎が解けます。不吉な歌や言葉は、不幸を招いて居ります。その文字の素性の意味の通りになりますので、漢文の作り方、其の意味の取り方に附いて、特に御注意下さい。

 よく皆さんは、「つまらない、つまらない」と言われます。あなたに詰ってよいものがありますか、びんや槽の栓位のものではありませんか。あなたの生活に余裕あるから、詰らないのです。神に余裕のない様にして戴けたら、本望なのでしょう。常に、「つまらない、つまらない」とこぼす人程その人は詰って居るくせにと私は思います。

 もうよい加減に白状して困ったと言ったらどんな気がしますか。

 あなたは、他人に品物を贈る時、お粗末なものですがとか、つまらん物ですがとか言われます。詰らん物なら立派な物ではありませんか。粗末な品物を人に与えるのは、間違って居りませんか。神達には、反語なんて、ありませんから気を附けて下さい。

 面白くないなら面白くない。さゝいなことなら、さゝいなことゝ言ったらよいではありませんか。詰らんことで喧嘩などする筈がないでしょう。詰ったから喧嘩もし心が詰まったから面白くないのでしょう。

 霊の世界は、何事も卒直ですから、ご注意願います。此奴はうそつきだとなると、その罪として、天罰を受けることになりますから、御注意致して置きます。

 ヘブン、セー、オー、ジーザス、クライスト(神は言う、オーおまえは馬鹿ぢゃな-)お釈迦ばかり造ると、お前は馬鹿ぢゃな-と言われますよ。

 

天元教 第一編

一、唱題 南無忠孝妙法典

二、教典 忠孝妙法典

三、序 文

四、霊や神達は居るか

五、大自然は魂魄、言葉、電素に依って活動する

六、霊と香い

七、虫のよい人間たちの多いこと

八、面白く操られて居る人間界

九、油断と満心は汝の行の禁物

十、竜神及び稲荷の行

十一、竜神と人との関係

(一)人間に落ちた安姫の昇神

十二、稲荷と聖天

十三、水神と井戸神

十四、家相の難除け

十五、地鎮祭

十六、丑九十度清浄圏と未申清浄圏

十七、八柱の荒神

十八、八荒神と水神守護の分布

十九、毘沙門

二十、思ひ除け人形法

二十一、思ひと恋慕

二十二、神の思ひ

二十三、仏 霊

二十四、念霊(生霊)と死霊

二十五、人体に憑く動物霊と供養

二十六、樹木や岩に棲む霊と供養

二十七、金神(こんじん)供養

二十八、執念(しゅうねん)供養

二十九、行体の繁殖とその霊及び寄生霊

南無忠孝妙法典
天元教機関紙
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