六、霊と香い


[物体] → 物質 → 分子 → 原子 → 精 → 電子→ 電素
にまで分解することができます。
の電素は引合うけれど、自ら離れる性質がありません。若し、一部の人の言う様に物質の基が自由意志を持って居るのなら、なぜ電素は自分の意のままに離れないの? 又、物質の基の集団である筈のすべての物や死んだ肉体が動かなくなったり、言葉や意志を発せないの? 大自然中に有る、無し、と言われる世界と、居る、居らぬ、と言われる世界の存在することに気附いて戴きたいのです。即ち、物質界と霊界の二世界であります。
 物質に対しては有る、無しと言われ、霊に対しては居る、居らぬと言われて居ります。

「人間」食物を糧とする。

人間

肉体(物質より成る)


「霊」香いと水を糧とする。

霊体(微量の分子、原子、精より成る気袋)
霊魂

「霊魂」

 

霊魂体(微量の精、電子より成る)
魂魄
「魂魄」物質的肉体無き生命であって、物質的糧を必要とせず。
自由意志を持って居ります。

 汝は汝と言う魂魄に対して、自分自身と言って居られます。魂魄が念を綴ると、意志となり言葉とあらわれて、総ての物(電素)を動かして居ります。霊魂が意志を発して、霊魂体を操作し霊体を動かせ、霊体を操作することによって、汝の肉体を神経系を使用することによって自在に操作し、汝の意志を表わして居られます。汝は汝の霊位だけの力を表わし、汝の言葉によって他の者の霊や色々の物を動かすことが出来ます。但し、汝の霊位の力以上の霊や物を己の意志のまま動かすことは出来ますまい。総ての全力は霊、言葉、物の三つの力が相いまって完全に顕れるものであります。

 全力を一とすれば、霊の力は三分の一の力、言葉の力も三分の一の力、物の力も三分の一の力しかありません。

 私は汝に己の霊の力、言葉の力、物の力の三つの力が完全に与えられるやうに、神様達に南無忠孝妙法典とお願いするようお薦めします。

 魂魄や言葉は物質ではありませんので、消耗したり「エネルギー」を「ロス」したりすることはありません。けれども物は消耗し、活動によって次第に「エネルギー」を失うので、物質的肉体、霊体、霊魂体は消耗し「エネルギー」を失うことになります。それゆえ生物、霊、霊魂は物質と魂魄との合体となって居りますので、その活動によって物質的「エネルギー」を失うことになりますので、それぞれの食物に依って「エネルギー」をおぎない、生物は他に香生産の原料を採らなければなりません。

 生物体は霊の糧である香生産の機械として造られて居るからであります。汝自身の霊も如何に香いを欲するかを味って戴き度い。汝はよい香いを好きませんか、汝が沢山の御馳走を自分で造った時、胸ぶくれがして食べられないことはありませんか、汝自身(霊)が鼻の孔から、その香いを食べて満腹して居るのでしょう。浮世に未練を残したり、罪を犯したりして居ったために、迷わされた仏等が汝の肉体内に来ますと、汝は盛んに水を欲しがり、その仏が生前に好きであった食物を好むようになり、遂には、仏が生前持って居たような病気になります。これは汝が意識せぬ間に、汝は汝の肉体と云う機械を仏によって操縦されて居るのです。仏は天罰を受けて迷わされて居るのですから、汝も迷はされ、年切って苦難を受けねばならぬことになります。霊は水と香いで生きて居ることを忘れてはなりません。それ故、成仏出来た仏は仏壇に祭ってやり、何んでも香いの物や水をお供えしてやらねばなりません。墓石には沢山水をかけてやって戴きます。

 迷った仏は私の教へた成仏供養法によって救ってやって戴きます。

 いや、香生産の機械は人体ばかりではないのであります。汝が色々な物や食物を造るにも、造り上げるまでに、色々形の変った器具や道具機械等がいるでしょう。神達とても最終のよい香いを造り出すまでには色々な道具や機械がいるのです。汝達のためになった夫々の機械を操縦命ぜられ、役目終って迷った色々な生物の霊も、汝は供養法によって救はねばならぬ義務があります。若し、何かの生物に縋られますと、汝の肉体から彼の最も必要な精気を採りますので、汝の肉体はその精の不足を来たし、その症状を表わした病気をなさることになります。何が採られ不足して居るかを究め、これを補ふため投薬するのが医学であります。その採られる根元をふさぐのが私の教えであります。済度の方法に三通りあります。霊の力に依る済度に催眠術、心霊術、気合術、言葉の力に依る済度に慰安、物の力に依る済度に医術等があります。けれども、総ては術の域を脱することは出来ません。それ等は総て三分の一の力しかないからであります。しかも、これ等の済度はみな意志と言葉に支配されて居ることを知って戴き度いのです。この様な理由からも、私は皆様に南無忠孝妙法典と称へて、人霊位以上の位に居られる神達の意志にお縋りせよと希望するのであります。

 浮世の中の総ては、夫々の役目を帯びた神達の意のままに動かされて居りますので、汝は神達の意にさからわず、罪を作らぬ様に心掛けねばなりません。汝が行を積み、悟りを開いて、善良な心となられますと、汝の意志も心も、神達の意志のまま動かされる様になります。そして汝の運勢は開け、汝には幸運が続くようになります。すべては神達が人を使って、汝を守立てさせたり、減させたり、金や総てを与えさせたり、取り去らせたり、彼等は面白半分に楽しんで居ります。

 生物の総ては、そのからだから、霊の糧である体臭香い、薫を造り出さねばなりません。どうしたら総ての霊の好くこれ等を汝が汝のからだから造り出し得るかを神達にお縋りして、研究なさらねばならぬと思います。総ての霊が好く体臭か嫌う体臭であるかによって汝の運勢は各段の差を持つことになります。

 汝の肉体は、夫々の支配の役目を持つ神達の放つ意志から起る念波や電波に依って運転され、汝は汝の肉体を神経系を操作することによって操縦する役目を持って、汝の肉体内に乗憑って居られるのです。汝が汝の肉体を操縦する様、神達に命ぜれた期間が汝の寿命期間となって居ります。

 汝は汝の霊位を得るための苦行をしながら、汝の肉体と言う香い生産の機械を操縦し、総ての霊の好む様な香いの生産に全力をそそがねばなりません。

 それ故、その操縦の仕方如何によって、賞罰を支配の神達から与えられ、操縦の仕方が悪いと、遂には罰せられ首になりますからお気を附け下さる様御注意して置きます。目にも見へず、気附くことも無く、唯苦難のみ次から次へと湧き興りますので、十分にお考えになる必要があると私は思います。さて、総ての霊の好くよき体臭、香い、薫を造り出すにはどうしたらよいのでしょう。よき神達は悪を滅ぼし、善を栄へしめ様とする意志を持って団結し、これを妨げる道をまちがえた悪に染った神達と対陣し、これを討伐し、次ぎ次ぎと討ち滅ぼして居りますので、もう間も無く私に味方する神達に依って、神達の世界は平定されると思います。大自然の神の掟として、生物体を持ち霊界と遮断されながら居る者に、その悪であることを見破られた神達は神通力を失せることになって居りますので、私は日夜これを破り、悪の霊達に死罪を与え続けて居ります。最早、大者は残り少なになりました。善の勝利を信じます。人界にも面白くあらわれて来ました。孰れに味方するか、それは皆様の御自由に願います。

 私はよき神達の意志に従い、その掟を守るのが最善かと考えます。

 汝が物を造るのに、怒りながら造ってよいものが出来上りましたか、ろくなものは出来ぬと思います。汝が怒りながら汝の肉体と言う機械を操縦したら、汝の機械は破損し、よい体臭を造り出すことは出来なくなるとお思いになりませんか。

 汝にその肉体と言う機械を怒って使われたら、神達は非常に迷惑しますので、汝を罰し、その償いとして汝に種々な苦難を与えます。

 頑固、強情、我儘、利己主義等もよい香いの大量生産を阻害しますので、天罰を受けることになります。行体の滅びる様な行為や楽園を造って、肉体の潤滑油とし、肉体を滑らかに運転操作して、その消耗を防がんとする行為を妨害する行為等は神達によって罰せられますから、水神の掟、八柱の荒神の掟等なおざりになさらぬ様に願います。魂魄の発する意志は応々感情となって表現されますので、霊魂体、霊体、生物体等総て魂魄が乗憑って操縦して居るその体自体も、その魂魄の意志を伝えて、その魂魄自己の感情の表情を表わすことになります。汝の肉体と言う機械に他の霊(汝自身以外の霊)が乗憑って居る場合には、汝自己の意志の通りに汝の行為が表現出来ぬようになり、汝の触角であるべき神経系を汝以外の霊に操られますので、汝自身の操作と混線して、汝の脳髄の機能に種々な変形の感覚を受ける様になります。又、汝自身の霊の位より霊位が上であったり、功を経て通力が勝って居るような他の霊等に乗憑られて居りますとそれが汝の守護又は協力する使命を受けた霊でない限り、汝は彼等の勝手に汝の神経系を操られて、何一つ汝の自由にならず、遂に汝は癇癪を起して、いらいらし、汝の神経系は過度の使用によって必要以上に消耗し、その機能に傷害をきたし、汝の意志通りの操作が不能になり、汝は理性を失う様になります。

 又、汝の意志で無い他のものの意志や行為が汝の肉体を通じて表現されるようになり、汝は人から信用を失うような結果が産れるようになります。神罰や天罰を受けたため、霊界において香や水気を採ることが出来ぬようになった霊等が、汝の肉体内に取憑きますと、汝の肉体から彼等の栄養元を採りますので、汝の肉体はそれぞれの栄養素を失うことになり、次第に衰弱したり、種々の傷害を来たして、不足した栄養素に付いての症状を来たし、発病する様になりますことは前にも述べました。

 霊魂や霊に生れますと、その体は物基から成って居りますので、その「カロリー」の消耗を補給するための糧である香いや水を採らなければなりません。それ故、霊魂体又は霊体に乗憑って居る魂魄は己れの操作して居るそれぞれの体の消耗を防がんとするための意志から慾望を生ずることになります。この慾望が満心のため等から、その必要限度を越え、遂には己の行のため与えられた道すら忘れまちがえて、支配の神達や高位の神達の天罰を受け、行破れ知らぬ間に香や水の量の制限を受け、若しくは全々採取不能となり、己のひもじさから香の糧を得んがため悪に返って、霊魂や霊同志も互に糧の争いをして居ります。そして、これらも皆己が悪かった為の結果だとは気附かずに居ります。徒党を組み通力の富めるものをその頭とし、他はその頭の支配を受け、他の集団と法力の争いをなし、行により会得された呪文を悪に用い、他を征伏するような霊界が出来て居りました。善良なもの達もこれに対抗するため徒党を組み、神通力の富めるものがその頭となり、悪に対抗して居りました。悪の方がどうしても都合がよく一時は栄へますので、その方に走るものが多く三分の二は悪に、三分の一は善に味方した様子でした。

 これは高位の神達が魂魄の楽しみとし、又、霊位を得るための行の規程として、善悪の二道を定め悪を破ることをもって行の目的としたからであります。善は一時悪に負けるように見えますけれど、その間の苦しい苦行から通力を得、遂には悪を滅ぼします。皆様とても同じこと、私の教を信じて善の道のみ取る方は一時周囲の悪に負ける様な感じが致しましょうけれど、努力し続けて汝が栄えた時には周囲の悪の全部が落魄れて居ることに気附くと思います。善の道をとるか悪の道をとるかは汝の御自由に願います。

 総ての大自然中に造られた天体は香元素の塊で霊の糧となる香を造る根元でありますので、この附近に沢山の霊や霊魂達が集って暮して居ります。高位の神達は下のもの達が勝手気儘なまねばかりして、悪に染まりますので、夫々の支配の神達を使わして、その行蹟を取り調べ、賞罰を明かにしその反省をうながすためにどしどし天罰を与えて居ります。地上界に於ても(下界に於ても)香や水気の争奪の争いから、香生産の機械の争奪の争に発展し、果ては集団を作って、領界を我がものとし、他を犯すの行為を悪と考えず、しかも平然とその罪を犯して恥ずることなく己れが勝利者のごとく考え、高位の神達や造物主達のよい香の大量生産の目的を阻害し、罪せられて、遂には彼等霊の一団全部が神通力並び自己の得た通力すら失せ、霊の死罪を与えられるに至ることも忘れて、その場になって気附きあわてて居る様等、私にはおかしく感ぜられます。高位の神達はこの悪を滅ぼすべく、地域や区分を定めて、その役を命じ鎮守として、神達を下したが、悪の霊達はこれを恐れ嫌って居た。霊界では、その首領が大切な役目の行に破れ失敗した時は、その一門は神通力を取られ、追放となる場合が多く、若し、首領が悪であって討ち取られた場合は、全部が運命を共にし、殆んど赦されるものはない。若し、汝が神の道をまちがえた悪に染った神達に信徒するならば、それと運命を共にしなければならぬことも不思議はあるまい。それがいやなら本心より悔悟し、悪の途を改め善に帰依するより途はあるまい。

 何に、私は神の支配は受けぬ、神にも縋らぬと威張って見ても、汝の力で自在に現世に生れ出ることは出来まい。汝は汝の使命すら忘れて居るのでしょう。しっかり苦しんで神から与えられた汝の使命を知り、若し汝が途をまちがえて居ったり、悪に染ったり、汝に命じた神が悪であった場合には、汝は自身で解脱し善に返るより、汝は汝の苦しみから逃れる途はあるまい。私の教が勝つか、これに反対するものが勝つか私はいつまでも静に見守るであろう。

 人間は、苦しむだけ苦しんだ方が善に帰る最善の近道であると、私は確信する。人間を周章てて救う必要はあるまい。泣くまで待つのが賢明であろう。今日までの私の体験から割り出して神達に善処するよう命じた神は忠実に実行して居る。神の勝利は疑いもない。しっかり善の神と争って見るも面白かろう。私は永い間笑いながら見て居り度い。そして改められた時はじめて救ひの手をさしのべよう。

 霊の世界にも乞食が居ります。汝達知ることの出来ぬものには、狂人じみた話のように思えるだろうけれど、霊界の事実だから記録することにしました。笑うものは大いに笑へ。

 道をまちがえて、高位の神から天罰を受け、香を得ることの出来ない霊や神達は他の霊や神達に助けを求めて居るものも居る。汝達にも、このような神ならぬ神や通力を得たもの達が汝達の肉体を使って、数千の眷属をひき連れて、食うために商売して居るものすらあります。彼等には、人道も理性も無く唯貪欲で情心など一つもありません。

 唯、自分達だけ生きて楽めばよいのであります。このような霊達に取り巻れて居る人は、応々に自分だけよければよいで、飲んだり、食ったり、家族の者の生活すら考えません。しかし、その精気は彼等の霊が持ち去って行きますので、一時は栄えても間も無く、おちぶれて食うにも困るようになり、応々にそれらの人達は他の動物性を表はすようになる場合が多く、面白くあやつられて居ります。これは極端にあらわれた場合ですから皆様もお気を附け願います。

 善い神達や霊に守られ又協力されて居るものなら何んの心配も無く生きて行けるように必ず道がくるくると開けて行きます。それを汝が気附いた時、汝の苦しみは無くなるでしょう。若し、汝が私の教えを信じ、悪を改め、道をまちがえた神達や霊達から仲間をのがれ善の道に進みたいなら、皆様に公開して居る私の法を用いて、悪の霊達を切り破り、彼等の仲間からのがれることが必要であります。この場合彼等は死力をつくして、汝の心をかき乱しますから、非常なる汝の決心と努力がいるものと私は思います。それ以外に汝の運勢を開く道はありますまい。道をまちがえた神達なら、彼等の霊が生きるため汝の小使いをするかも知れませんけれど、善の神達は、汝の小使いではありませんからお忘れなく。彼等は、汝の行を見守り賞罰を与え、よき香の生産が可能となる様努力しさえすればよいのであります。人間ばかりが香い生産の機械では無いのですから、人間の生存等問題にして居らぬ高位の神達の沢山居られることを知って戴き度いと私は思います。よき楽園を造るには、皆様が一日も早く善への目覚めをなし、汝の怒りを捨てる以外に途はありますまい。次ぎ次ぎと神達に罪を与えられ、好まぬ争も与えられて、汝達はその苦行に泣くことでしょう。

 

天元教 第一編

一、唱題 南無忠孝妙法典

二、教典 忠孝妙法典

三、序 文

四、霊や神達は居るか

五、大自然は魂魄、言葉、電素に依って活動する

六、霊と香い

七、虫のよい人間たちの多いこと

八、面白く操られて居る人間界

九、油断と満心は汝の行の禁物

十、竜神及び稲荷の行

十一、竜神と人との関係

(一)人間に落ちた安姫の昇神

十二、稲荷と聖天

十三、水神と井戸神

十四、家相の難除け

十五、地鎮祭

十六、丑九十度清浄圏と未申清浄圏

十七、八柱の荒神

十八、八荒神と水神守護の分布

十九、毘沙門

二十、思ひ除け人形法

二十一、思ひと恋慕

二十二、神の思ひ

二十三、仏 霊

二十四、念霊(生霊)と死霊

二十五、人体に憑く動物霊と供養

二十六、樹木や岩に棲む霊と供養

二十七、金神(こんじん)供養

二十八、執念(しゅうねん)供養

二十九、行体の繁殖とその霊及び寄生霊

南無忠孝妙法典
天元教機関紙
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