八、面白く操られて居る人間界

 最高だと考えて居る人間が、他の神達や魂魄等に面白く操られて知らずに居る。汝は人の前で、ここで笑っては失礼になると思いながら笑いを止めようとしても、こらえきれず吹き出すように、くすくすっと笑えたり、怒るまいと努力してもお腹の底から、むかむかっと腹立って来て、理性を失いつつも、汝の心の奥底に、こそぐったい感じをおぼえたことはないか。

 私は、ある年末の最後の日曜日に集った人々に向って、この二、三日にせまる正月の元日の始る午前零時から三日の夜の十二時までの間だけ、腹を立てたり喧嘩したりしなかったなら、私は汝達の、どんな願いでもかなえてあげよう。まさかお正月の三日間だけだから、皆さんには容易な問題だ。しかし私はその期間中、怒りを支配して居る神達を使わして、汝達を腹立たせますから、充分気を附けて、油断せぬように、その神達の力に打ち勝って、怒らぬ修養をなさいと言ったが、派手に夫婦喧嘩等して面白かった。正月の御馳走をわざわざひっくり返した人も出た。みんなが法力にかかって一人も、この試に合格しなかった。汝は頑固、強情、利己主義、我儘者ではないですか。汝のからだは、汝の両親の体内に居た一匹の精虫と一匹の妊虫とが、盛んに子を産んで、珊瑚樹のように造りだしたものだ。汝の血、これも一匹の動物よ「ボイコット」されたら、汝のからだは自由を失うだろう。白血球に手を引かれたら他の者に食いあらされ、逆にでしゃばられ過ぎても、汝のからだは生きることが出来なくなるだろう。

 若し、汝がその性質を通すなら、神達に見放されて、からだの香いが悪くなり、次第に多くの霊達にきらわれて、どんなに努力を続けても、不運続きになるだろう。霊達はいやな香いを嫌うから。

 同じ通りに同じ店、同一条件でありながら、一方は商売繁盛で恵比寿顔、他方は一つもお客がはいらない。これは又、一体どうしたことだろう。完全なからだにかっぷくはよし、智慧もある好条件に恵まれて居りながら、広々かっぷくはなく、字も書けぬお方に使われて居る。前者が勝たねばならぬが道理ではないのか、何んの不思議もないのか。福徳や健康にめぐまれて居る人、貧苦や病苦になやんで居る人、こんなに差があってはどう考えて見ても、人間が単に物質だけで出来た物であるとは考えられない。

 若し、人間が人間と言う品物なら、一様に評価されて運勢にこんな差がつく筈はあるまい。汝自身と言う魂魄の意志の出し方、心の問題になるのではないか。汝のお心が他の霊達に好かれるか、嫌われるかによって、汝の運勢は左右されるのでしょう。

 どんな物にも心があります。その心は外力を受けると、その位置が変る場合が多いのであります。汝の心も、汝と言ふ魂魄が出す念、又は汝自身以外の他の魂魄の意志から起る念波によって、変形させられるのであります。汝は、霊と心を一緒にして居られると思ひます。

 心は魂魄の出す意志による霊の働き方の品位で、俗に言う性根なのであります。

 肉体にも霊にも霊魂にも良否はなく、魂魄の出す意志によるその働き方、即ち、その品位に善悪があるのであります。

 英語では「ハート」He-art「彼は技工」となって陰性で表わされて居ります。

 自分で自分の霊体を改良することは不可能であるけれど、その心は己の意志で妨げを排除することによって改良することが出来ます。即ち、自分自身、魂魄、汝の起す念如何によることになります。物に於ては質の善悪その物質を固めた精「セメント材」の良否によって、その品位がきまります。心もその品位の善悪が論ぜられ、良い心、悪い心等と言われて居ります。言葉や歌等にもその心があります。音にも魂魄を引き付けるものと、反対に遠ざけるものとあるのです。これによっても、汝の運勢に重大な影響を及ぼすことのあることに気附いて戴きたいものです。魂魄の発する念が真の楽園を造り、よい香の生産に役立つか、害するかによって、真の心の善悪が決るのであります。神様達はこの点を入念に取り調べて賞罰を与えて居りますから、気を附て下さい。心の有り方、即ち、その品位に、汝は重大な感心を持たねばなりません。神の賞罰は汝の人体と呼ばれる肉体に与えるのではなく、その肉体を操縦して居る汝自身と言う魂魄に与えられ、汝は幸福を得たり苦難にさいなまれて汝自身が苦しむことになるのです。

 汝は霊界での汝の性質の欠点を直しながら神に命ぜられた使命を果すために、人間界に生らされて居る。汝が汝の欠点を悟り改めないかぎり汝は使命の途には進めない。応々に、行に破れて死の瞬間に、迷わされて居る。自分の持って生れた性質は自分で研究して直さなければ、直すまで汝の苦労は続けられる。然し、持って生れた性質ばかりでなく、種々な罪や他から来る念に依って、ゆがめられた性質の人もあります。罪のために、自分が操縦しなければならぬ自己の霊魂体も霊体も、はたまた自分の肉体的からだも、己の意志の通りに動かぬ人が沢山居られます。己の罪ばかりではないのです。

 祖先の者の罪や親の罪又は一家の者の犯した罪の裁きによって、応々、不孝者が出て財産を喰いつぶしたりする。自分で悪いと思いながら、直すことが出来ぬ人が多い。酒を呑めば暮しが困る、ここで怒っては損だとよく知って居て、それが改められない。電波が他の電波に妨げられて変形するように、汝の念も他の魂魄の放つ念波に妨げられて変形させられて居る。世の中には、当るか当らぬかの二つしかないのに、汝の思惑が常にはずれるのは、そのためであり、それを防ぐには、汝の行に対する神の罪を犯さぬ様に心掛け、過去に犯した汝達一家の神の罪について、偉大な力を持つ神達にお縋りし、そのお知らせを待って探究し、我が教へる天元の法によって、汝自身が汝の苦難の発生する原因のものを刈取る以外に道はあるまい。

 生物はみな、夫々己の霊位を勝ち得るために神達の許しを得て、その霊位の生物に夫々生れ出されてその苦行を勝ち得るための行をして居るので、その体内にはいると同時に、霊界から遮断され、その行の掟さえ忘れさせられ苦行をさせられて居る。霊位を得るための苦行ならよいが、罪の償いの苦行ばかりでは、折角行に生れ出たかいがない。その行の様については汝の自由で、役目の神達は常に汝の言葉や行為等を静かに見守って、霊界の記録にとどめ、丁度「録音テープ」や「フイルム」の様に汝の意志や言葉、映像、動作等に付いても、汝の生涯の何代も前から汝の生れ変った経路に付いても、明確に記され、賞罰が明らかにされて居る。

 私が時々汝達の過去の行いについて、もの語るのは汝達には見ることの出来ぬ神の記録を前に置いて、それを調べながら話して居る。何の不思議もない。汝達の中には、私を恐れる者も居るが何も恐れる必要はない。私程愛情に富んで居る者は他にあるまい。私は汝達に反省を求めるために賞罰を明らかにし、それを与へて居る。汝は苦しむだけ苦しんで、人間の力だけではどうにもならないと悟った時、汝はその真理を知って、改め、汝の苦しみから逃れたらよい。そこに始めて、真の正しい汝が出来る。人間は苦しむだけ苦しんだ方が真人間になる近路らしい。心に苦痛を感じて居る人程、犯した罪が大きいと言うことになるのです。道楽息子等に苦しめられて居る親達は、その親の心から改めないと、息子の道楽はなおらない。一家の苦難はその家で一番苦しむ人から、先づ性質を改めると逃れ易い。汝達も私同様に送心機と受心機を持って居る。ただ汝達の受心機は次ぎ次ぎと犯す神の罪のため、感度が鈍って居る。幼児の感度を熟視したら、よく分るだろう。子供の時から偉大な神達が沢山居られることを知ったなら、汝の天職は全うすることが出来て、汝の幸運の途が年と共に開けたことだろう。悲観する必要は無い。改めよ。

 今から真の神を知って改めたとて遅くはない。末代までも繰り返し、永遠に汝の行は続くのだ。人間界での一日の行は、霊界に行ったなら、三年間かかる。若し、汝が現世で少しでも救われなかったなら、霊界で救われる筈がない。死の瞬間に迷わされて苦しまされるのが関の山だ。どんなに沢山の人が死の瀬戸際に迷わされ、迷える仏として放置され、霊がもだえ苦しんで居る様を私の教への信者は心からよく体験することだろう。迷った仏が縋って来ると、足がだるくなったり、水やお茶ばかりがぶがぶ呑む。そのうちに風邪気味になったり病気する。肺病で死んだものなら肺病になり、脳病で死んだ仏なら縋られた人が脳病になる。まことに面白い結果を生んで居る。仏の夢ばかり見る人は病身者が多いのもそのためだ。汝や汝の家族の者が、仏が生前好きであった食物ばかり好くようになって、その内に病気する。怨んで死んだ仏等なら汝達は無意識で、理性を失ったようなことばかり平気でやって居る。 風采は実に恰好よく出来て居て、世に用いられない不運な人が沢山居る。「美人は薄命、色男金と力はなかりけり」等とは、何を意味するのか。恋慕や思いの結果である。汝は人に呼ばれても、肩をたたかれるまで気附かずに居たことはないか。又、道を歩きながら無意識で居たことはないか。その間、過去の恋人等のことが汝の肉体内に画かれなかったか。それは汝自身が汝の肉体から離れて相手の恋人の肉体や相手の妻や夫の肉体の中に込って勝手な真似をして居る間なのだ。汝は汝の肉体を役目の神達の運転にだけまかせて、汝は汝の肉体を操縦することを放置して、勝手な真似をして居るのだ。度重なる間に、汝は汝の肉体を他の霊に取られたり、肉体が大怪我をしたりしますよ。こんなことになると、汝は最早その肉体に居らぬのでよいでしょうけれど、人間的に見た汝は、急に性質が大変りして、家族の者が泣きますよ。汝自身も汝のからだ(肉体)内に帰ることが出来ないばかりではなく、罪に問はれて迷える仏同様に取りあつかわれますよ。人間界から見ると、汝の肉体は生き続けて居るけれど、汝自身は死んであの世に在る。汝自身は苦しみ続けなければならない。思い恋慕はあきらめて、私の教えた法を用い、供養法によってのがれ、汝の肉体の操縦の役目を忘れて片時も汝の肉体を放置して遊びに行ったり勝手な真似をせぬ方がよい。

 汝達が一番助けられて居るのも「アミーバ動植物」なら、一番多く命を取られて居るのも「アミーバ動植物」なのだ。神の罪を犯すと、いろいろな「アミーバ動植物」が使わされて汝は命を落すことになる。みみづの霊に憑かれても大熱が出たり、医者で癒らぬ様な眼病や淫乱症、子供によくある局部のただれ、湿気の箇所なら眼、鼻、口、耳と処かまわずやって来る。試に、みみづを一匹採って「不浄物をかけてすまなかった赦してくれ」と言いながら、清水でそのみみづを洗ってやって、土の中に逃してやって見よ。どんな頑強な病でもけろりと治ることが多い。なめくじ、かたつむり等の霊に憑かれて、よだれをたらす中風症や手足のだるやめ、守宮に障られて、小児の夜泣き、手足のくさり、くもに障られて風呂嫌い、疫痢や痲痺で苦しんで居る。
 蟻に憑かれて、甘い物好きの貧弱型や寝小便たれ、鯨の霊に縋られて噴水下痢、魚類の霊で蕁麻疹、かにや毛虫の霊に憑かれて、かゆみがはい廻る。果ては、犬真似、猿の真似、牛の様にねりをかみ、一升徳利に大福帳ときめこんで、阿弥陀かぶりのよい親父、家族の困るのもなんのその、どんな夜空の露天でも、狸寝入りときめ込んで、おれがおれがの大威張り、遂には財も呑みほして、人に迷惑知らぬ顔、人面獣心のそのままに、汝は何と見るだろう。

 ぷっつりかゆい蛇霊や彼の冬眠さながらに飯も食わずにねんねする。寒がり症の猫さんが炬燵かかえて動かれず、指病み、爪病みたえずして、魚と見たら喉がなり、樹の霊憑いてどっこいしよ、立居振舞いにぶくなり、お手は後に曲げられず、生物中最高の位であるべき人間が、毛虫や蛇を恐れたり、動物霊等に憑かれて気附かず自在に操られる。どんな不幸が来てもこのことを知らない、そんなばかなことがあるかと笑って居る。私は信じて貰おうとは思わない。信ずる者さえ救われればよい。汝達に与えた苦行の妨げはせぬ。私の教えた供養法によったら、けろりと治るだろう。それですべてが分るのだ。

 汝は死んだ人の夢を見たことは無いか。その仏は迷わされて居て、汝に救いを求めて居るのだ。気無しに居ると、年期年期に災いが来る。年期と言えば原因から満奇数の日月年の経過である。何んの病気で死んだか、どの様な死方をしたかを調べて御覧なさい。家族の者に同じ兆候が表われて居る。汝は恋したり恋されたことは無いか。その人と夫婦になれましたか。夫婦にしてくれと、神に願掛けたことは無かったか。よく過去を思い起して御覧なさい。
 
 若し、その方と夫婦になれず他のお方と結婚なさったのなら、御結婚になった年月日を思い起して、その時から年期年期をたどって見て下さい。必ず汝の一家に難が来ている。ひどく恋されて居ると、その年期に当る年月に大病したり、財を失ったり、事業に失敗したり、発狂したり、夫か妻かいずれかが死んで居る。夫が恋されて居る場合は妻が、妻が恋されて居る場合は夫が死んで居る。恋された本人も医者で治らぬ病気をするから研究し、私の教えた法によって難の来ぬ様逃れたらよい。汝は他人を恋したことはないか。愛と恋とは同一ではない。若し、ひどく恋したことがあったなら、汝は処を離れて遠くに旅立っては居らぬか。汝や子供さんが常に腰の周りにかゆみをおぼえたり、生殖器に異常を起しては居らぬか。思いや恋慕等がついて居ると、夫婦間が冷く風波が絶えない。 汝の子供さんは中耳炎になやまされたことはないか、汝が恋されて居る証だ。汝は神達にあの人と夫婦にしてくれと願掛けたなら、汝は流産したり、子供の発育不全、汝の生殖器は故障又は発育不全で、子供が出来ない。汝に対しての現世での神達の計画は済んで居るので、汝の願いをかなえてあげると、他の二人を一生独身で終らせねばならぬ事になるので、神達は汝とその人との縁結びを、汝の来世かその次に廻す事にする。汝はそれまで待って、此の世を独身で過すべきではないのか。汝達が独身で過すなら、此の世に四人の独身者が出来る筈、その罪は当然、汝はあまんじて受けなければなるまい。神達に願いを掛けて置きながら、汝は他の者と結婚するなんて、汝は何んと言う我儘者なのか。袖振り会うも多少の縁で夫婦になったのでは、又、別れる不運が来る。縁には短いのと長いのとあるから、何度も別れた末、本当の夫婦の縁に結ばれて居る方もある。

 始めから本当の縁の者を見付けるべきである。原因から年期がたつにつれて難が大きくなるから、真面目に思い起して、汝の過去に蒔かれた罪を刈り採らなければならない。

 汝は怨んだり怨まれたりしたことはないか、あきらめ忘れられた時から難が来る。夫婦の間、親子兄弟の間でも同じこと、汝が忘れた時から相手が難を受け、その後から汝も神の裁きを受けることになる。汝は人にうらやまれたり、ほめはやされたことはないか。人には、そねみ心があるのが多いので、そねみが来て商売等が不進になることがある。

 汝は夫婦間で、ひどく怨みあったり、焼持ちを焼いたことはないか、相手のからだの内部に癌腫等が出来て、若し、死にでもしたら汝はなげき悲しむのではないか。立派に見える奥さんが私の前に来て主人に癌が出来て、手のほどこしようがない助けて下さいと、さも殊勝気に言う。汝は一体、御主人をお許しになるのですか、汝が過去に御主人をひどく怨んで今日あるを御念じになった、言わば汝がお造りになった癌ではないか、汝が主人を許さずして、私に癌を治せとは一寸まちがっては居ませんかと尋ねると、彼女は主人のことであるから、許すも許さぬもありませんと言う。これでは全くめちゃくちゃだ。神や私に対しては言葉の意味に気を附けたがよい。反語等考へない卒直そのままなのだ。

 主人のことだから許すこともしなければ、許さぬこともしない、過去の怨みだけは残すとは全く腐った奥さんだ。これではどうしてあげることも出来ぬ、私は罪の裁きを続ける以外に途はない。何ふして怨んだことを詑び、主人を許す気になれぬのだろう。このようなお方が沢山居るのには驚かされる。なぜ許します、悪かったと一言、言えないのだろう。その人の運のつきになるのだが。

 私はこう言えば許す、こうすれば許す等とは決して言わない。誰にもえこひいきはせぬ、汝自身が悟るべきだ。

 汝は子供を産んだ時、後産や産湯十日間を汝の屋敷の外に運び出しましたか、屋敷内に処理したのではないか。産毛、臍の緒、産爪等を保存したか、気無しに居るだろうが、とんだ難が来て居るよ。汝は子供の時、お友達等に意地悪したことはないか、年頃になって難が来る。汝の家の屋敷内は綺麗に保たれて居るか、ごみの置場によっても発熱、神経痛、異常月脛、鼻血等病気ばかりする。八柱の荒神に、ことわり無しに家や屋敷をなぶったり、杭打ち、薪割り、打ち釘、捨て釘等によっても家業不進や病気をする。破れ神を祭っても、異形な焼持ち焼きが出たりする。女神だけ祭った神社があるために、その周りに産れた男の児が大人になっても、皮かむり、面白い処がある。雌雄分れた大木が汝の家の周りに有っても、樹霊の焼持ちから難が来て、雌の木だけなら後家になり、雄の木だけならやもめ暮しにされますよ。樹霊に恋されて、お嫁に行く気になれなかったり、一向に嫁を貰う気になれぬ人が居る。樹霊が実を結ぶ様になってからのこと、雌雄共に植えてあればよい、気附かずに居るだろう。

 井戸側や炊事場の流しで不浄物を洗ったり、井戸の側を下水が通って居ても病気や不運が続く、六尺以上離れたがよい。炊事の流し場が上下共に清潔になって居るか、下水はつまっては居ないか、流しに熱湯を流したことはないか、水神は霊が焼けずりするので、汝のからだにその水神が怒って取憑くと、飛火病や丹毒の様な症状になり、腹水病、胸水病等にとり憑かれますよ。汝は焼けずりする様な器物を流しの上にのせたことはないか。揚げ物する熱油を飛ばしたことはないか、子供の皮膚がただれて来る。

 汝は不浄場の中に、大小便、月脛、使用した紙綿類、おれ針、爪、消毒薬以外のものを捨てたことはないか。便所につばや痰を吐いたり、煙草の火を捨てたり、嘔吐したものを捨てたり、鼻血や産後の血等、捨てたことはないか。痔や畜膿、吐気ぐせ、長血病等になやまされますよ。産湯等以っての外である。年頃になって肺病等に苦しむ等の難が多い。便所、かまど、こんろ等を荒神に無断で修理や取りこわししても、年切って一家に難が来て居る。家相、仏壇、墓地、墓石、お骨の処理の仕方、墓地をあばいた罪、住居の移転の仕方は太陽の光線及び地球の自転等に影響を受ける、歴史を知るなら分ると思う。執念のついた品物、書画骨董、鏡玉剣等も恐しい結果をもたらして居る。

 汝の家のお客様、商売上のお客様、よく注視したならば、その日の運勢にも重大影響のあることを見るだろう。見舞に来た客によっても、病人が楽になったり苦しみ出す。その人と過去に縺れはなかったか。天元の教に従って汝が心を改め、罪を消し、汝の運が開けかかると、急に来なくなる客があるだろう。潰しに来る客と守り立てに来る客、汝はいずれを選ぶべきか。汝に罪があるときは分らぬだろう。背後に、善と悪との霊や神が居る。妻が主人の好物を造って待つと、主人はその晩帰らない、面白いことが起きて居る。これは主人の好物を知って居る人の念霊だ。除くとすぐ、主人が自分の好物を買って来る。

 母親の心の奥にあることは、すぐ子供の動作にあらわれる、実に微妙である。子供の性質をなおすには、小言の前に先づ母親自身が改めることが肝要だ。改めないで小言ばかり並べると、子供の心のねじれはひどくなる。母体は陽性、父体は陰性だ、父の心のねじれは子供に陰険に表はれる。汝は腹の中に怒を持って子供を叱っては居らぬか、若し、怒り心があるなら、子供はねじれ、孝行せぬ様になるだろう。何事にも怒っては負けだ、怒っては損をすると云うことを知らねばなるまい。若し、腹立たしさを感じたら、口にも出すな動作もするな、にっこり笑へ、そして原因を調べ出せ、取り去った方が汝の徳だ。汝の勝となるだろう。

 誰でも怒ったら損だと知り、怒って気持がよい方はないと思われるのに汝は怒る。汝自身が怒って居るのか、他から来る念波や心波に操られては居らぬか。汝の身体は故障を起して、よい香いの生産が出来なくなりますよ。そして汝の香い生産の機械は他の霊達に嫌われて、原料を運んでくれなくなるだろう。神の原料支給割当も減らされ、汝は食うに困る様になるだろう。汝はお釈迦ばかり出来る機械の方に力を入れて、材料の割当を多くして生産を続けて居られますか、「スクラップ」にするのではないか。浮世は神達に操られて居る、気無しにしたことでも年期にはまって居る。言葉通りに浮世は動く。嫌いな喧嘩を汝はする、嫌な戦がよぎなくされて、汝にどうにもならぬだろう。人間がよい心になったなら、戦はやめてやるだろう。しっかり苦しんで悪かったと悟り改めるまで、私はその日を待つだろう。

 

天元教 第一編

一、唱題 南無忠孝妙法典

二、教典 忠孝妙法典

三、序 文

四、霊や神達は居るか

五、大自然は魂魄、言葉、電素に依って活動する

六、霊と香い

七、虫のよい人間たちの多いこと

八、面白く操られて居る人間界

九、油断と満心は汝の行の禁物

十、竜神及び稲荷の行

十一、竜神と人との関係

(一)人間に落ちた安姫の昇神

十二、稲荷と聖天

十三、水神と井戸神

十四、家相の難除け

十五、地鎮祭

十六、丑九十度清浄圏と未申清浄圏

十七、八柱の荒神

十八、八荒神と水神守護の分布

十九、毘沙門

二十、思ひ除け人形法

二十一、思ひと恋慕

二十二、神の思ひ

二十三、仏 霊

二十四、念霊(生霊)と死霊

二十五、人体に憑く動物霊と供養

二十六、樹木や岩に棲む霊と供養

二十七、金神(こんじん)供養

二十八、執念(しゅうねん)供養

二十九、行体の繁殖とその霊及び寄生霊

南無忠孝妙法典
天元教機関紙
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